AlphaGoの活躍でAIをビジネスに取り入れようとしているえらいひとたちへ
※私はAIの専門家ではありません。日本中のどこにでもいる、クソExcelを撒き散らすことしか脳がないクソリーマンです
※私の囲碁の腕前は幽玄の間で5~6級ぐらいです。ルールを覚えて最後まで打ち切れる程度です。
ここ数年、とくに去年AlphaGoがセドル先生に勝ってからというもの、世の中がAI、人工知能、機械学習ととにかくかしましい。ビジネスの世界でもオッサンが「これからはAIの時代(キリッ」とかやってる時代だ。俺が直接言われたわけではないが、幹部は社長から「AIを導入してナントカしろ!」と経営会議で厳命されたそうだ。俺は子会社のぺーぺーだから直接の被害はないが、言われた幹部は心底かわいそうだ。
もし自分が幹部にパワハラ気味に「オマエ、ナントカしろよ」と言われたらどうするのか*1。考えてみた。
そもそもAIって何ができるのか?
考えてみればすごい話だ。「ウチの会社、何となく無駄が多そう」「何となく自動化できる仕事が多そう」と考えているはずなのに、指示は「ITのトレンドを勉強して、自社に応用できることがあればレポートしろ。AIなどの最新事例も逃すなよ」じゃなくて「AIでナントカしろ」だもんな…「自社の業務の中にAIを使えそうな分野はありませんでした。これ以上調査するなら、予算を割いて専門家を連れてくるしかありません」という報告は、学術論文では十分有意義なことなのに、企業でこれをやると無能扱いされる意味が分からない。
『私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。』
既に広く知られていることだが、コンピュータのチェスはかなり昔にグランドマスターを破っている。しかし、コンピュータチェスは人工知能でも機械学習でもAIでもない。いや、当時はコンピュータチェスを人工知能と読んでいたかもしれないが、2016年にAlphaGoがセドル先生に勝ったときに、世の中で使われている「人工知能」や「機械学習」という単語の意味は変わったように思う。少なくとも2016年の囲碁と同じ技術でないことだけは確かだ。コンピュータ囲碁に使われてるような最新のすごい技術を使わなくても、チェスでは人間に勝てるのだ。
私はぺーぺーなのでクソExcel VBAコードをよく上司に書かされる。ウチの部署にはプロのプログラマがおらず、野良VBAerがそこそこいる。だから自動化はやればできるし、非効率な仕事はなくせると思っている。しかし、ウチの課長は自動化という果実がVBAによってもたらされたのか、それともAIや機械学習によってもたらされたものなのか、理解していない。上も上で似たような空気のように思える。本当にそんなレベルで「AIでナントカしろ」という指示を、よく出せたもんだなーって思う。「AIとは何かを、俺に分かりやすくプレゼンしろ」で留めとけよ…
誰が自社のビジネスをAIに教えるの?
囲碁5級でプログラミングもクソExcel VBAしか書けない俺にとっても、この本はスーパーエクセレントブックでありサイコーなエンターテイメントだった。初版2012年なので、初期の将棋電王戦が行われ、米長先生を倒して話題になった頃の話だ。
この本を読んで痛感したのは、「とにかく、囲碁をコンピュータに教えるのはものすごく難しい」ことと、「囲碁という1000年以上殆どルールが変わらなかったゲームに対して、すごい人数でメチャクチャ時間をかけて研究している」ことだ。とにかく参照される論文数が半端じゃない。一人では到底囲碁というゲームを解析しきれないことは、研究者なら誰でもわかってる。だからこそ、自分の研究成果を論文という形で公開して、他の人に託しているのだ。
この本では、チェスが人間のグランドマスターに勝って盛り上がっていた頃、それなら囲碁もと頑張ってはみたものの、失敗を大量に繰り返した苦労の歴史が読み取れる。「最強手を追求することを放棄して、勝つことを最重要視したら勝率がめっちゃ上がった」「モンテカルロ法を使ったら勝率がめっちゃ上がった」くらいまではネットでも拾えそうな情報だけど、2012年当時でも「モンテカルロ法を将棋に応用したらメチャ弱かった。アマチュア初段程度」とは驚いた。汎用的で万能なアルゴリズムは2012年にはまだない。ゲームが変われば、有効なアルゴリズムは変わる。結局「囲碁というゲームはこういうゲームだ。オマエはここでこう考えとけ」と命令しているのは人間なのだ。
個人的には、「なぜコンピュータはシチョウを逃げ出したがるのか」が書かれた部分がとても面白かった。2016年、セドル大先生が4局目の白78で奇跡的な手を放ったあと、AlphaGoは突然暴走した。取られている石を逃げ出して大損したり、手のない隅に手をつけて石をタダ取りされた。この本を読んで、間違いなくAlphaGoの開発者も、数多くのコンピュータ囲碁の(その多くは失敗の歴史である)論文を読んだのだと確信した。この本で解説されている、負けたときに無理気味に暴発する過去の囲碁プログラムたちと、AlphaGoがソックリなのだ。去年のAlphaGoの試合は、googleがちょっと本気出したらセドル先生に勝ちました、という試合では決して、決してないのだ*2。
さて。
苦しい日経企業のリーマン幹部が社長に「人工知能でナントカしろ!」と命令されたとする。まず、自社のビジネスとはなんなのか、どういうゲームなのかを細かく、コンピュータに理解できるぐらいまで定義できるのか?ビジネスの世界は囲碁と違って1000年ずっと同じルールだった訳ではないし、プレーヤーだって二人以上いる。外部にどれだけ論文があるかも重要だ。打ち手としてのAIが本当に最適解なのか?
なお、実際のビジネスの世界とは違い、囲碁も将棋もチェスも、ノイズのないかつ良質な棋譜、つまりコンピュータに喰わせる機械的なデータが入手しやすい形で大量に用意されているのは非常に大きかったと思う。実際のビジネスでこれらを手に入れようと思ったら相当苦労しそう。
ウチの社員は、AIを最後まで信じられるの?
本当に革新的なモノを目の当たりにして「これは素晴らしい!革新的だ!」と人間が知覚するのは非常に難しい。例えば上記の本では、グラハム・ベルが電話技術を開発した後に特許をウエスタンユニオンに10万ドルで売却しようとしたけど断られた後、その5年後に全米に電話機が普及する話が登場する。あるいは、映像が白黒かつ無音だった映画が流行っていた1927年、ワーナーブラザーズの社長は技術者の音声技術の売り込みを断っていたりする。社長がどう思っていたかは知らないが、当時は「映画は無音かつ白黒」が常識で、チャップリンが流行っていた時代だ。革新的な技術を革新的と知覚することが簡単とは限らない。
AlphaGoもそうだった。4線の石にカタツキする手は、囲碁5級の俺に向けて書かれた「初段を目指す本」とかに、明らかにダメな手として登場していた。人間が過去の経験から導いた常識なのだ。ではなぜ、プロ棋士は常識を捨てて、4線にカタツキする手を受け入れたのか?答えは簡単で、「コンピュータに負ける」というリスクを背負ってまで、投了するかヨセで地を計算するところまで、つまり最後まで戦いきって負けたからだ。これまでの常識を全部捨てて、まっさらな目でAlphaGoの手を、何人ものトップ棋士たちが必死に研究したからだ。
「初段を目指す本」に頻出するくらい、悪い手として常識だった4線の石にカタツキする手。これが、例えば最後まで打たず、30手で打ち切って次の対局に移行するルールだったらどうだろうか?30手で打ち切っていれば、プロ棋士が勝つことはないが、負けることはない。そのとき、それでもプロ棋士たちは、4線にカタツキする手を「いい手」と知覚することができるのだろうか?
現実にビジネスの世界にAiを導入したとき、AIが導出した打ち手がプログラミングが拙くてその手になったのか、それともプログラミングは完璧で、人間の常識からは考えられない革新的な打ち手を見いだしているのか。見た瞬間に「これはAIスゴいぞ!革新的だ!」と人間が知覚することは極めて難しいように思う。囲碁はルールが変化することは殆どないが、実ビジネスにおいては、AIが開発開始当初では革新的な手を打ったとしても、その手が陳腐化する可能性がある。陳腐化しにくく、変化が小さい、かつ論文数の多い分野は、自社ではどれに当たるのか?を考えた上で、「その仕事は何万通りの合法手の中から一手を見いださないといけない仕事なのか?」まで考えた方がよさそうだ。ぶっちゃけ、2通りの中から1つの手を選択すればいい世界なら、クソVBAプログラマの俺でもif文で作れるぐらいだ。それまでの仕事の生産性が低すぎるので、if文で生産性が劇的に向上する場面を、俺は何回も見てきた。
さらに言えば、実ビジネスの世界には、囲碁の世界のように変化に柔軟かつ強い人が何人も検討し続ける、ということが起こるのだろうか。非常に疑わしいように思う。幹部はめっちゃ苦労しそうだなーと思いながら、俺は知らない顔して明日もクソExcelを量産した方が幸せそうではある。
予算は?コストメリットは?
AlphaGoのサーバ料金は最低60億円!!? | ふくゆきブログ
AlphaGoは、高い。人工知能も、恐らく2017年現在では高い技術だろう。そんなスゴい投資を、自社ができるポジションにいるのだろうか?
幾何ら金が掛っても良い完全な製作の出来る一通りの機械を買入れる事に努力しました。一台五万円も六万円もする機械が相当多数に要りますが、夫は致し方ありません。其の機械を買う事を躊躇するなら始めから自動車事業に手を着けぬ方がましです。それですから機械にウンと金が掛る事を覚悟しなくてはなりません。
(中略)一つ機械を買い損えば三万や五万円はふっとんでしまいます。こう言う高級な機械を買っても其れが満足に使いこなせるであろうかと言う事が次に来る問題であります。